Con anima*2 ビュティが動くたびに桃色の髪が軽やかに揺れた。ときおり鼻歌を歌いながらスキップをする。なんの変哲もない家が彼女のために宛がわれたステージのようだ。学校からの宿題は意識のはるか遠くに追いやった。
「〜♪」
彼女は明らかに浮かれている。いつも通りハジケている首領パッチへのつっこみも控えめだった。控えめというか、そこまで彼女の気が回っていない。日中は学校で授業を受けていたが、勉強にあまり身が入らない。事情を知っている彼女の友人はそんな彼女をからかいながらも見守っていた。
大好きな兄が帰ってくる、彼女にとってその事実は何よりの吉報だ。学校から帰ってきた彼女は荷物を自分の部屋に放り投げてリビングで兄の帰還を今か今かと待つ。インターホンが鳴ると彼女は一目散に玄関へ向かった。
「ただいま、ビュティ」
「おかえりお兄ちゃん!」
ビュティは兄に抱きつく。彼は妹の頭を撫でた。もう片方の手にはお土産が入った紙袋を持っている。彼の服や日用品は家にも置いているので帰省するたびに大荷物を持ってくる必要はない。ひと回り大きいリュックに収まる程度でなんとかなる。
「元気そうだな。首領パッチとは仲良くしてるか?」
「うん!」
「ソフトンも元気そうだな! 破天荒、荷物持てよ!」
「はい、おやびん!」
「ああ、すまない。君が破天荒君か」
「呼び捨てで構わないっすよ。オレもそうするつもりなんで」
「分かった」
首領パッチの号令により破天荒が紙袋を持つ。ソフトンは彼らのノリに動揺することもなく紙袋を破天荒に手渡した。ビュティも破天荒に礼を言って兄の手を引く。普段の彼女は首領パッチに引っ張られることが多いが今の彼女は積極的になる。ソフトンと離れて暮らすようになってから彼が帰ってきたときには甘えるようになった。
破天荒は首領パッチの指示に従う。ソフトンの荷物はあっという間に所定の位置に配置された。
「アイスもたくさん用意したよ」
「あのアイスはここでしか売ってないからな。夜ご飯のあとに四人で食べようか」
「うん! お兄ちゃんがいない間にいろんなことがあったんだから覚悟してね」
今のビュティに尻尾が付いていたら元気に揺れていただろう。自分の夢のために妹を置いてきたことを負い目に感じていた時期もあったが、毎回こうして快く迎えてくれることにソフトンは安堵している。手紙や電話だけだと把握できないこともあった。
彼女が兄や両親と離れて暮らしていても気丈に振舞えるのは突然現れた居候の存在も大きい。兄妹の両親は仕事の都合でほとんど家を空けている。首領パッチは一軒家にひとりだけ残って暮らしていた彼女の隙間にすっと入り込んだ。
「……だろうな」
ソフトンはトゲの付いた一頭身の首領パッチを慕う人型の破天荒を横目で見る。話には聞いていたが、実際に見るとなかなかにインパクトが強い。ビュティも初対面のときこそ面食らったものの、今では日常の一部として溶け込んでいる。
夕ご飯を食べ終えてからもビュティは普段はいない溝を埋めるかのように兄に対して最近の出来事を話し続けた。翌日が休日なこともあり夜遅くまで話し込む。ビュティが自分の部屋に向かう頃にはもう少しで日にちをまたぐところだった。
「お兄ちゃんは?」
眠気眼をこするビュティの問いにソフトンは空のおちょこを持つ。首領パッチは大あくびをした。てっぺんのトゲがやや曲がっているように見えるのは気のせいだろうか。破天荒はそんな首領パッチを頬を緩めながら見つめていた。
「せっかくだし一杯飲もうと思ってな」
「もしかして私が寝るまで待ってくれたの?」
ソフトンは首を振る。そしておちょこを置いてからビュティに話しかけた。ソフトンだって兄妹の時間を少しでも長く過ごしたいと思っている。数日後には再び長い間離れ離れになってしまうのだから。夢のために自分で選んだ道と言えど彼も寂しい。
「お前が楽しそうに話してるからつい。明日また話そう」
「はーい。おやすみ」
「おやすみ」
ソフトンはビュティと首領パッチを見送って破天荒に目を向けた。妹に向ける視線とは違う、どこか挑戦的な目つきだ。
「酒は飲めるのか?」
「飲めないのは嬢ちゃんぐらいだと思うぜ?」
ソフトンはおちょこを破天荒の前に差し出す。お互いに不敵な笑みを浮かべた。
「今夜は付き合ってもらおう」
二人は悪酔いをすることもなく飲み過ぎて家のなかが大惨事になる悲劇は回避した。マシンガントークをする訳でもないが、確実に言葉のキャッチボールは行われている。破天荒は首領パッチがビュティやヘッポコ丸にカミングアウトしたことをソフトンにも話すことも考えたが、結局口に出すことはしなかった。
ソフトンも不思議な同居人について不用意に深掘りするつもりはない。首領パッチとはなんだかんだ長い付き合いになり、その首領パッチや妹が受け入れている破天荒も彼女に害を与える存在ではない。それさえ分かれば兄としては充分だった。
「ここにいる間はビュティを頼む」
「まぁおやびんがいる限り嬢ちゃんのこともある程度は見ますよ。喧嘩慣れはしてるんで」
「分かった。首領パッチにもとんだ伏兵がいたものだ」
喧嘩のひと言で済ませてもいいのか分からない激闘の連続だった。ソフトンはそれを理解しつつも口角を上げる。首領パッチを慕っている存在が自分と同じ尺度を持っているとは限らない。妹が幸せそうなら、周囲と不和が生じなければそれでいい。
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。兄妹で遊びに行ったり、四人でヘッポコ丸に会いに行ったり、ビュティは日頃から考えていたことを行動に移す。彼女たちに与えられた時間は少ない。
土曜日や日曜日もあっという間に終わり、祝日の月曜日がやって来る。ビュティは空港までついて行く。首領パッチと破天荒も途中まで一緒だったが、空港の近くで別行動を取っている。
「(……時間が止まればいいのに)」
彼女の表情は晴れない。その時間が楽しければ楽しいほど反動は大きい。彼女の望みは叶わない。分かっていても心の底からの笑顔は浮かべられなかった。ソフトンは彼女の頭を撫でる。
「また帰ってくる。向こうの物で気になるのがあったらいつでも知らせてほしい」
「うん。……いってらっしゃい、お兄ちゃん」
「いってきます」
ソフトンは努めて柔和な表情を浮かべる。ビュティはこれ以上兄に心配をかけさせまいと顔を上げた。兄の姿が遠くなる。ビュティは耐えきれずにうつむいて唇を噛んだ。これで何度目だろう、彼女はまだ慣れない。
「……っ」
「ビュティ、新作のハンバーガーだってさー」
首領パッチと破天荒が合流した。首領パッチはビュティの服を掴む。彼女は深呼吸をして二人のほうを向く。彼らとのいつかは考えたくない。彼女はまだ影の残った笑みを浮かべて口を開いた。
「首領パッチ君、破天荒さん……、飛行機見送ったら三人で食べよっか」
彼女はひとりではない。兄や両親がいなくても彼らがいる。首領パッチはさりげなくビュティと手をつなぐ。破天荒は頬を搔いて彼女の頭に軽く触れた。暗い顔を放置するほど冷めた男ではない。